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2012年8月12日 (日)

「THE IDEON」

「或るファの音眼(閂夜明/ねこバナナ)」届いたので、早速インストールだ。

予告通り「THE IDEON」見ましたわ。イデオンはTVシリーズの時にはネット局がなかったので変な時間に放送していて全話を見たわけではなく(もっとも、ビデオがなかった時代はそもそも全話視聴はかなり難しかった)。しかし、アニメディアがなぜか創刊号からフィルムストーリーで全話紹介の連載をしており、ストーリー自体は知ってました。映画版は子供心に「見たらアカンわ」と思っていたのをひきずって、これまたストーリー自体は知ってましたが、見てませんでした。
ということですが、やはりフィルムコミックと映画は別物です。声優さんの声?音楽?。いやいや、最も違うのは「タイムラインに沿って強制的に進行する」ということですね。つまり、自分のペースに合わせてどうとでもなる紙媒体との差が顕著だなーと思ったわけで。
面白いのは、戦艦や重機動メカの名前をちゃんと覚えていたこと。やはり、当時はメカとプラモデルこそが子供の脳みその中心だったと……(笑)。

感想としては、正直、この年になると「有名な戦闘での容赦ない死の数々や、全滅ラストも今更という感じなので、最近の作品のように小手先の理論に頼らないSF的に凝った物語構成だけど、正直冗長だな。あと、IDEマジ外道」と言ったところですか。最初から最後まで人間達はイデの力に翻弄されるばかりで、イデはやりたい放題、というように見えます。
劇場版は基本、省略されたTVシリーズラストを描くことなので(一応、接触編が付いているけど、全く知識のない人が見ると人間関係とか不親切すぎる。特にラストシーンとの対比で)、既にロボット活劇的なシーンもほとんど省かれ、ひたすら戦闘と人間ドラマを描く、といった感じですが。その結果、似たような戦闘シーンが延々と続く冗長な物となり、人間ドラマの割合が逆に薄くなってしまっている=作画というか画面の丁寧さ、凄さを優先したものになっているような印象を受けました。逆に、作画の湖川氏の凄さは体感出来ましたが。

さて、【ネタバレ】を含めてみていきますと。

「接触編」は「カララ、ギジェたちとの最初の接触」「ハルルたちとの戦闘」「地球圏を追い出される」の3点に絞ってTV版を再構成。おかげで重機動メカもほとんど出番がなく、いっそ、ハルルとダラムのシーンを継ぎ接ぎして一緒に出した方がわかりやすかったのではないかと思うくらい(ザブングルの時と違って、そういう無茶な繋ぎ方はしてないのか?)。ゲル結界内でのイデオンソード発動の時のイデオンの変な踊りは見たかった(笑)
ギジェが接触編で乗り込んで、発動編のOPで死んでいるのには苦笑するが。
「発動編」はキッチ・キッチンをわざわざ持ってきている(ラストからも重要な人物と考えられる)のに、死に際のシーンのあっさりさ(&首が飛ぶという「生理的に嫌な」描き方)にまずびっくりする。戦争の「死」をリアルというより「いかに凄惨に、これまで無かったような描写をするのか」という点でこの作品は究められているので、予告みたいなものか。
そのあとの「ドバ・カララ対談」はイデが具体的な意志を示すという点で、物語中でも最も重要な部分と思われる。イデは「操れているんだかどうだか解らないエネルギー」としての描写がメインで(両方の地球に流星を降らせるという凶悪なことはしているが)、あとは自己防衛とか何とかいっているだけだったけど。このあたりの「コントロールとも防衛とも全く関係ないところ」でイデが動いているということ=完全に第三勢力として勝手に動いているということだしナァ。
そして、これが決裂した以降は完全に「一繋がりの話」であり、TVと違って切れる部分がないから、延々とバッフ・クランの波状攻撃を受け続けているような印象になるんだな。コスモも「イデが赤ちゃんを守ろうとしている」事に注目して動き続けるけど、基本的に「其の力を利用して生き残ろう」というだけで、イデとコンタクトを取ろう、とかそういった方向の「建設的な打開案」がなく、物語がループしているようにしか感じられなくなる原因を作っていると思う。
そういう意味では、シェリルが気が触れて(いや、もともとああいう人か?)やったことと、大して変わらないことが延々と続けられているわけで。戦闘も、宇宙空間で重機動メカの大群とやり合うだけだから、メリハリがない(演出的には大規模な戦闘シーンは「圧巻」のひと言である。ただし、イデオンの大きさとミサイルのサイズと数のような怪しい部分は設定なので何とも……)。白兵戦も、人間ドラマの間に波状的にかけられるために「似たようなシーン」で一人一人順番に殺されていく、といった印象が強くなってしまう。
思うに、そこまでして「一人一人の死」を描かなくても、ラストのガンド・ロワ戦で「みんな死ぬ」で良かったんではないかと思うのに。スタッフみんな、何かに取り付かれていたんではないかと思ってしまうよ。アーシュラの死に方なんてドラマでも何でもなく、ただ「生理的に嫌な死」を描いているだけだし(子供の頃は「リアルに描こうとしているなぁ」と思ったけど、今考えると「トンボじゃあるまい、磁力靴じゃなくて重力で立っているんだから、千切れたとしても体全体「も」吹き飛ばされるのが普通だろ」となるわけで)。
だから、繰り返し繰り返し描かれる死を見ているうちに「何で同じようなシーンを何回も見せられるのだろう」と思ってしまうわけです。話は緊迫しているので、のめり込んでいる自分もいますが、逆に、ストーリーラインを知っているので、冷静に鬱々と見ている自分も居るのでこんな事に。
で、結局、ガンド・ロワ戦に至っては、近寄りすぎて何が起こっているのかさっぱり解らないという。もっとサイズに関しては口で説明して、画面は遠くからの撃ち合いの方が絵としてわかりやすかったと思うんだけど、元々イデオンとソロシップからして「見た目と実際の大きさが違いすぎる」から、更にバイラル・ジンとガンド・ロワが加わるとわやくちゃに(笑)。
あのあたりは、距離感や星を挟んだ位置関係とかが画面から読み取れず、「凄く高度なことをやっているのに理解出来ない」感が高かったです。
そして、ラストですが。ラストの意味自体はイデも崩壊して第六文明人の意志も解放されたのなら解決なのかもしれませんが。イデは滅びず、前と同じように種を蒔いただけなのなら、再び人類がイデを起こすことが……嫌な話だ(笑)。ちなみに、富野さんは「アンドロメダ・ストーリーズ(竹宮恵子)」を知っていただろうか?
演出的には死んでいるか生きているかの違いを除けばザブングルのラストと同じと見ることも出来、富野監督の普段「全然」感じられないキャラクター愛のようなものを感じる。しかし、これを「生きている人間でやれなかったのか?」と思ってしまうのは自分の甘さなのか。「死と再生」というのは現世を軽んじているようで個人的にあまり好きではない。それをもって「死」の贖罪としてしまったようで、イマイチなのだが、キャラクターに思い入れがある人にとっては「救い」なのだろうか。
そんな感じで、映画「THE IDEON」を見たのですが。やっぱりひとつは「TVシリーズあってのイデオンだよな」「この映画は打ち切りと劇場版ガンダムの盛り上がりあっての、あの時代だからこそ出来た作品だな」というのを感じます。イデオンに関してはあまり情報を入れていないので、これからボチボチ当時の本とか読みたいとは思いますが。「スポンサーに声優代を浮かすためにキャラクターをどんどん殺すように言われた」とか「ロボットがあんまりにも格好悪かったので超巨大な異星人の遺跡にした」とか酷い話満載のイデオンですから(それでもVガンダムにならなかったのは、富野監督が若かったから?)楽しみ方も色々かと。
ただ、思っていたよりも世界全体の設定や構成がしっかりしていて、当時のスタッフのレベルの高さが印象に残りました。単純な科学設定なら最近の作品の方が凄い物もありますが、物語全般にわたっての「創作度」のレベルは当時の方が凄いので、作品を作る人は凄く見る価値のある作品だと思います(そして、そこに当時のオタクは取り込まれたのだと)。
あと、初代マクロスって、ほぼこの作品の影響下にあるねぇ(笑)。

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