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2016年8月22日 (月)

「ひぐらしのなく頃に」と森村誠一作品との類似性に関する考察

さて。予告通り、「野生の証明(森村誠一)」「黒い墜落機(森村誠一)」と「ひぐらしのなく頃に(竜騎士07)」のガジェット的共通項について書いてみたいと思います。
当然、内容にはこれらの作品の【ネタバレ】を含みますので、そういったものを読みたくない人はご注意下さい。
また、当内容は単純な比較的なもので、否定的な意見を述べているものではないことを最初に書いておきます。
さて。
個人的に「ひぐらしのなく頃に」は10年に一度の傑作と思っていますし、それは今でも変わっていません。まー、「うみねこ~」には言いたいことが沢山ありますが、「ひぐらし~」におけるキャラクター造形とストーリーの組み立て、ノベルゲームとしてのパッケージングは「よく出来ている」と思っています。
ただ、その中でも「雛見沢症候群」という設定の根幹を成すガジェットには、何か引っかかるものが多かったのです。おそらく、理系の人間特有のものかと思っていましたが、SF的な考察をする上での「一番大きな嘘」なので、ここは「そういうものか」と納得をしておりました。が、「野生の証明(森村誠一)」の内容を読んで、なんとなく繋がるものが見えてきました。

もともと「ひぐらしのなく頃に」はミステリー作品として評価がされていて、それゆえ商業系のインタビューや評論では講談社メフィスト系の新本格推理作家との比較がよく行われていました。ですから、私もそちら系の見方をしていたのですが。一方、森村誠一氏は角川と組んだ「人間の証明」でブレイクしたためミステリー作家とされていますが、個人的にはミステリーとしての推理部分よりも社会派作家(しかも左寄り)としての側面が大きい人として認識していて、それゆえ氏の小説はあんまり読んでいませんでした。同じベストセラー系ミステリー作家なら西村京太郎氏や赤川次郎氏の方が読んでますね。
角川映画は「八つ墓村(横溝正史)」からメディミックスのさきがけと言えるテレビでの宣伝を多く使って社会現象を巻き起こしており、私くらいの世代だと「8時だよ全員集合」内でのコントとCMで強い印象を与えられていました。このため、「人間の証明」でも作品の根幹を成し、映画のキャッチコピーとして使われた西條八十の詩「母さん、僕のあの帽子どうしたでせうね」は多くの作品でパロディー等に使われています。そのくらい、当時の角川映画の影響力は強かったのです。そして、「野生の証明」でも「お父さん、怖いよ。何か来るよ。大勢でお父さんを殺しに来るよ」のキャッチフレーズは今でも耳に残っているくらい、しつこくCMで流れていました。こちらは、「オタクの用心棒(山浦章)」の続編的作品「死ぬのは奴らだ(山浦章)」に登場するレンジャー部隊が、おそらく映画冒頭のレンジャーの訓練シーンからのインスパイアーではないかと思いますが、「レンジャー」「レンジャー」と叫びまくる自衛隊員について知ったのは漫画を読んだ後でした。

というように影響力の強かった作品であり、内容は知らなくても名前を知らない人が居ない作品かと思います。
で、この作品の中のガジェットには「ひぐらし」と共通の物が多く出てきます。都市を牛耳り、政治と警察を操り、息子は暴走族のヘッドという実業家・大場一成。しかも、ダム建設に関する利権とか出てきます。ブラフも含めて、園崎家(雛見沢や興宮に強い影響、義理の息子はヤクザ組長)やダム建設反対運動などとモチーフが似ています。
また、映画版では「自衛隊の特殊部隊が秘密を守るために民間人を殺しに来る」というとんでもが付け加えられていて。ここに山狗との共通点が見られますが、これには「黒い墜落機(森村誠一)」を読むともっと色々出てくるので後述します。
そして、当初から一部の人の間で「事件は細菌によるもの」という推理をされた最大の要因。「山間の閉鎖された山村での大量殺人事件」というもの自体は実際の事件である「津山三十人殺し」がモチーフと思われ、多くの作品で使われているために気にしていませんでしたが。「野生の証明」は「軟腐病」と呼ばれる野菜の病気にかかった物を食べた人間の脳に細菌が回ると発狂してしまう、という設定があり、これが物語の根幹を成しています。この「軟腐病」は実際にある作物の病気なのでまぎらわしいですが、現実には人間に感染するという事はありません。作品中では、この細菌が脳に回ると狂気に犯され、暴力的な行動に陥ったり。言動異常の刑事は脊髄に菌がいたりしました。「脳に寄生する寄生虫による疑心暗鬼からくる殺人衝動」という雛見沢症候群の設定はここに影響を受けているのではないかと思われるのです。
単なる発狂ではなく、より複雑な事を起こさせるために細菌から寄生虫に大型化されたと考えれば、作中での不自然な点が説明しやすくなります。寄生虫による宿主のコントロールという点では「ツリガネムシ」のようなものを想定していたようですが。寄生虫のような高等生物になってくると、生態系の確立が必要になるのですが、引き起こす症状の方に力点が置かれてしまって、そのあたりの描写が胡散臭くなっていることが問題かと。具体的には「感染経路」「寄生部位」「生殖」などですか。
いわゆる虫下しで退治できる寄生虫と違って、血管に住み着き、体内の器官に潜伏する「日本住血吸虫」という風土病の代表格の説明を読んでみると、実際の寄生虫の生態が良くわかると思います(Wikipediaの解説「日本住血吸虫」がわかりやすいです)。この生態系の解明に尽力した人たちの話は、入江の設定に影響を与えていそうな部分です。感染地域には嫁にやらないようにする話とか。
寄生虫が高等生物である以上、まず、人間に寄生していないときにどこに生息しているのか、どうやって感染するのかという問題があります。圭一がわりと早く感染していることから、外部の人間が感染するわけですが。そんなに簡単に感染するのに、感染経路もそうですし、人間に寄生する前にどこに生息しているのか入江が全く掴めなかったのも謎です。
また、「脳に寄生して宿主が死んでしまうと消えてしまうため見つからなかった」とのことですが。一般的な生物である以上、卵を排出するはずなのですが(人体の外に排出しないと、他の個体に感染させることが出来ない)。血液や糞などから卵が見つかっていないのは不自然です。
ちなみに、私が初プレイの時からずっと気になっていたこととして、(ウィルスなどと比較して)寄生虫のように大きな個体が死んだからと言って、死骸が見つからなくなるほど速やかに消えてしまうというのは、まー、そういう設定だとしても無理が大きいというか、もう一工夫あればなーと。
このあたりが「野生の証明」に影響を受けたものだとすると、細菌→寄生虫の変換によって起こった大きな齟齬のような気もします(「野生の証明」では細菌であっても簡単に発見されていますが)。そう考えると、何故、雛見沢症候群の設定構築がストーリー面の構成などに比べてスマートではなかったのかが見えてくるような気がします。
個人的には、どーせならもっと小さいウィルスにして、寄生と言うより自分のDNAを挿入することによって人の脳細胞の塩基配列を組み替えるとか「より胡散臭い設定」にしてしまえば良かったのに、とか思ったりします。

ちなみに、冒頭で述べたように「野生の証明」でも細菌によって引き起こされた東北での連続殺人事件の謎が大きなトピックスになっていますが。実際の内容は作者がバイオレンス描写をしたかっただけで、この部分をごっそり削ってしまっても作品としては成り立つのではないかと思ったりします。

さて、もう一つ。2chで雛見沢症候群の謎が分かったあたりのスレを見てみると「人間の証明」と共に「黒い墜落機」の名前が出てきます。この作品は「自衛隊が核装備のファントムが山中に落ちたことを隠すために、レンジャー部隊を使って村一つ全滅させようとする」という話で、映画版「野生の証明」の自衛隊部分と似たような設定になっています。発表された時期的に言うと、アイデアの元になっていると考えた方が自然です。
そして、機密保持のための自衛隊の特殊部隊という設定は「山狗」に大きな影響を与えたのではないかと思いますが。ストーリー自体も、たまたま村に滞在していた訳あり人間達が一芸に秀でた奴らで、自衛隊の特殊部隊を翻弄してしまうあたり、祭囃し編の裏山での戦闘を思わせます。それよりも、彼らが実戦する作戦の中に「夜中に一酸化炭素中毒を装い、ガスによって家の中の人間を全滅させる」というものがありました。この作品の自衛隊は森村作品らしく「ダメな奴らの集団」なので古い民家が隙間だらけでガスが威力を発揮しないというオチなのですが。チェス盤をひっくり返せば「ガムテープで目張りすれば成功するんじゃね?」となり、皆殺し編の虐殺シーンに繋がるのではないか。と思うわけです。

最後にもう一度言えば、ひぐらしの魅力はキャラクターにあり、「雛見沢症候群」というガジェットに絡めた複雑なストーリー構成にあると思っています。ですから、個々の設定などが影響を受けた作品を列挙したからといって評価が変わるとは思いませんが。商業レベルで解題本が多数出ているにもかかわらず、そういった部分がこれまで語られていなかったのは、単に書いた人たちが作品を知らなかったのか。誘導的な意図があったのか。竜騎士07氏もこれらの作品については触れたことが無いと思いますし。そのあたりの意図的なものがあったのかどうかということが、新たなる謎になるわけです。

おまけ:それらの「設定に対する他からの影響を遮断することにより、斬新な作品として商業的に煽る」ことを前提とした「ミステリー作品」としての間違った誘導が、「うみねこのなく頃に」におけるストーリー、設定の軽視に繋がったとすれば残念なことです。それよりも、キャラクターの立ち位置をストーリーと設定でしっかり固められれば良かったのに、と……。

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